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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第3節 焦慮 [5]




 こんなに語気を強める山脇は、初めてだ。
 手首を掴む力は決して(ゆる)まず、迫ってくるようなその身に思わず一歩下がる。
「彼なら良くて、僕はダメなのかっ?」
 なぜなのだ?
「僕じゃあ、ダメなのか?」
 なぜ、僕は受け入れてもらえない?
「僕のやってることは、そんなに迷惑なのか?」
「やめろって」
 聡の声が言葉を遮る。荒々しく山脇の腕を掴み上げ、美鶴から引き離した。
 勢いに押され、二人ともよろめる。
「どういうつもりかは知らないけどさ」
 ヒラヒラと揺れる前髪を掻きあげ、美鶴を背に(かば)うようにして山脇と向かい合う。
「これって、ちょっと異常じゃねぇ?」
「異常?」
「人に貸すにしたって、度が過ぎてるだろ。借りる身にもなってみろよ」
 美鶴の姿が、聡の体に隠れていく。まるで聡の身体が、山脇から美鶴を遠ざけているかのようだ。実際、聡は二人を引き離すつもりで割って入った。
 手を伸ばせば届くのに……
 間に入る聡など眼中になく、ただ、見えなくなる美鶴にのみ視線を注ぐ。だが当の美鶴は、自分と視線を合わそうとはしない。
 どうして? どうして僕を見てくれない?
 まるで、自分から逃げているかのようだ。
 なぜ? どうして僕を見てくれない?
 山脇は、自分の呼吸が荒くなるのを感じた。
 なぜ彼女は、この男の後ろにいるのだ?

 手を伸ばせば届くのに………

 彼女は、僕よりもこの男により近い。より近いところに、彼女は居る。
 僕よりも、彼を見ている。僕を見てくれない。こんなに近くに、僕はいるのに。
「高校生が貸す代物でもねぇし、借りる代物でもねぇ。違うか?」
 そんなことはわかっている。
 山脇は、ギリッと相手を見返した。
 自分とは違う、涼しい目元からの視線を強く睨み返す。
 彫の深い、ともすると女性らしくも見えてしまう顔立ちとは違い、鋭く男らしい様相(ようそう)。小さくとも、想う人の姿はしっかりと納めてしまうその瞳。無駄に大きい自分の瞳に比べて、ひどく強く、威厳すら感じさせられる。

「僕も、君のことが好きだ」
「君がそれをどう思うかは君の勝手だ。もちろん受け入れてくれなんて言わない」

 ……そうさ。僕は以前、そう言った。
 気持ちを受け入れて欲しいなんて言わない。そんなことは贅沢だと思っている。こうして再会できただけで十分だと思ってる。
 だけど――――っ!
 握り締める手に力が入る。
 負けたくない……
 知らずに目を細める。
 渡したくない。
 その為ならば、僕の持つすべてを使ってでも、彼女の役に立ちたい。
 彼女に、近づきたい……
 グッと唇を噛む相手に、聡は口元を緩める。
 「何? お前、こんなことで美鶴の気でも引こうとしてたワケ? これで俺を出し抜いたつもり? 抜け駆けか?」
 抜け駆け……… だとっ!
 フッと視線を落とした相手に、聡も強張らせた身体を緩めた。

 その時だった。

 「っ!」
 油断したっ!
 まずそう思った。思った時には、すでに聡の身体は壁に叩きつけられていた。側頭部も打ちつけたことで軽く脳震盪を起こし、目の前がクラクラする。
 床についた膝に手を当て、崩れた体を必死に起こす。頭をあげて辺りを見渡した。そうして、そのまま固まった。
「美鶴っ」
 背後から抱き寄せられて面食らったというのが、正直な感情。山脇の息遣いを頬に感じてから、除々に湧き上がる胸の息苦しさ。
「やまわっ」
 腰を浮かせ片足を立てる聡に一瞥をくれて、山脇は美鶴を一層抱き寄せた。
「動くと唇を奪うことになるよ。僕はそれでも構わないんだけどね」
 やや瞳を細めて挑むように、改めて見返してくる山脇。聡は息を呑む。
 二人の唇はもう触れ合うほどに近く、微動だにすればそれは現実のものとなるだろう。
 目の前で美鶴が他の男とキスをするなど、聡は想像もしたくなかった。
 いや、想像ではない。この男が美鶴へ口付けるのを、聡は一度()の当たりにしている。
 登校ラッシュで賑わう朝の校庭。そのど真ん中で全校生徒を観客に美鶴を抱き寄せ、その華麗な身のこなしで事を成し遂げた。
 その一部始終が鮮やかに甦り、熱い血が全身を駆け巡る。
 凶器を手にしているワケではない。飛びかかれば二人を引き離すことはできる。だがその瞬間、山脇は美鶴の唇を奪うだろう。
 いくらその後に山脇を殴りつけたところで、唇の触れ合った事実を消し去ることは、できない。
 上半身と後頭部に腕をまわされ、山脇に抱すくめられて、美鶴は呼吸もままならない。
 聡を突き飛ばした山脇は、そのまま美鶴の両手を鷲掴みにして、リビングの床へ投げ飛ばした。そうして、ようやく身を起こしたところに背後から腕を回した。
 思わず見開いてしまった瞳は閉じることもできず、ただ目の前の整った顔立ちを見つめることしかできない。

 ―――――左の足首が、痛い。

「っ! ざけんなよっ」
 地を這うような低い唸り声に、だが山脇はニヤリと笑う。そうして、そのままズルズルと後退しながら立ち上がる。
 抱き寄せられた美鶴はそれに引きずられるようにして立ち上がり、なす術もなく山脇の腕に収まる。
「ふざける? ふざけてるのはどっちさ?」







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